旭屋 うどん


生家の2軒隣に旭屋といううどん屋があった。タケシはここの婿養子の親父さんに、小3のころ一年間ほど勉強を見てもらって
いた。うどん屋が暇になる時間2-3時ごろ学校から帰ると彼の元に行き、うどん屋の店内で問題を解いたり漢字を覚えた。親父
さんは幼い僕に実子を重ねるがごとくやさしく指導してくれた。昔のうどん屋だ、特に冬場はカツオだしの香りとうどん釜の
湯気で、独特な空間の中での時間だった。

タケシにとっての伊勢うどん、いやその頃は「伊勢うどん」なんて言わなかった。「素うどん - すうどん - 」と言った。そし
てそれは、うどん屋で勉強を教えてくれた親父さんにリンクする少しセンチメンタルなものだ。彼はうどんの配達時にスーパ
ー・カブで転んで片足が不自由だった。うどん屋の親父さんの職業病である、よく行く近所のうどん屋の親父さんも同じだ。

そしてタケシは、感傷に浸ってるばかりじゃ駄目だと2011年にエビスヤ三重食品さんの協賛を得てパッケージをデザインする
ことで自信のオリジナルの伊勢うどんを作って販売を始めた。

この写真は1963年頃病気で寝てるタケシ。伊勢の人間にとっての伊勢うどんは、胃にもたれず身体を労る病人食や離乳食みた
いなもの、この日もきっと旭屋のうどんを少し食べたのだろう。そして販促のためのフライヤーにこの写真を使用しコピーを
付けた……

「病気の時にも 伊勢うどん」 無くなってしまった旭屋うどん店と親父さんへのオマージュも添えて

>>> 伊勢うどん 詳細はこちら 
        



next page